済美幼稚園日記 3月5日 プレ年少・年少 リトミック 年中 英語 たまごを使ってゲーム 青い目の人形ストーリー 1
プレ年少・年少のリトミックも今日が最後になりました。今日は絵本「はらぺこあおむし」をもとにリトミックの授業です。
4月当初は先生の話をみんなで聞くということも難しかったですが、今では自然に先生の方を向いて話が聞けます。
はらぺこあおむしは、さなぎからきれいなチョウになりました。
年中の英語は今日が最後です。ヘビさん、ニワトリさん、アヒルさん、恐竜さんが自分のタマゴを探しています。それぞれの動物がタマゴの色を英語で言うので、子どもたちはそのタマゴを探します。タマゴが割れると中から出て来るのは・・・
次はビンゴゲーム。目をつむって青野先生の持っている箱から卵を一個取ります。そのカラーの卵のカードをひっくり返して同じカードを揃えます。男女対抗は男の子チームの勝ちでした。
最後は二人一組で真ん中におもちゃのタマゴを置きます。英単語を次々言っていきますが、その中で日本語を言うとそれが合図で、真ん中にある卵を取ります。先に取った方の勝ち。いろいろな遊びの中で、英語に親しんできました。年長、小学校、中学校・・・とこれから続く英語の授業ですが、この子どもたちは英語と楽しい出会いができたと思います。
昨日お話した「青い目の人形」についてですが、その歴史と済美幼稚園とのご縁をもう少しお伝えしたいと思います。(田中安子著 「青い目の人形」と「ミス・エヒメ」物語より)
時代は大正、日本はまだ貧しく仕事もなく、アメリカへ家族を連れて移民した人が多くいました。日本人は安い賃金でまじめに働くので、アメリカ人の仕事が無くなり暴動までおきました。反日感情の高まりは、「日本人の入国禁止」「日本商品の輸入禁止」といった法律まで成立させます。そういう状況に心を痛めたのは20年間日本に滞在(そのうち7年間は松山にも滞在)したシドニー・L・ギューリックという宣教師でした。ギューリック博士は、愛する日本とアメリカの平和を守るために、ひな祭りにちなんで友情の人形を日本の小学校、幼稚園に贈ろうとという運動を始めました。大正15年、世界平和を願う青い目の人形五千体が第一便としてサンフランシスコを出発しました。
日本全国も青い目の人形に大感激し、青い目の人形が展示されたデパートは大盛況、30万人の来店があったそうです。このように歓迎された青い目の人形ですが、時代は戦争へと進み、昭和16年には日米開戦となったのです。戦争は日米の人々だけでなく、青い目の人形にも過酷な運命が待っていました。続きは次回で。