2024.03.07
済美幼稚園日記 3月7日 青い目の人形ストーリー 2
今日はプレ年少・年少の子どもたちは遠足に出かけました。その様子はあすお伝えすることにして、今回は「青い目の人形ストーリー 2」を掲載します。
平和な世界を願った青い目の人形ですが、昭和16年に日米の戦争が始まり、ギューリック博士は排日派の標的となり挫折しました。日本では、青い目の人形は敵国の人形として扱われ、焼くかこわすかしなければなりませんでした。それでも中には、青い目の人形には罪はないとし、罰せられることを恐れず何とか残そうとした人たちもいました。その中に済美学園の創立者である船田ミサヲ先生がいました。船田先生は、青い目の人形を処分させてはいけないと思い、軍部からの人形処分命令に反して、米国に帰る北条の牧師さんに青い目の人形を託しました。
その後ギューリック博士のお孫さんが、1987年から日本に「新青い目の人形」を寄贈されており、その中の2体が愛媛にやって来ました。そのうち一体がソフィアと名付けられ、青い目の人形を守った船田先生を慕って済美幼稚園にプレゼントされました。平成29年3月のことです。(平成29年3月3日愛媛新聞より)
ソフィアは、パスポートも持ってやって来ました。普段は職員室西側の壁際にいますが、ソフィアを見たら青い目の人形の話を思い出してください。